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【“久米節”健在】久米宏、エッセイで初めて明かした「ニュースステーション」降板のワケ
投稿日 2017年11月2日 16:32:30 (芸能総合)
11/1(水) 5:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171101-00532083-shincho-ent
現在2万部。まずまずだそう
現在放送されている報道番組のスタイルを作った“元祖”と言えるのではないだろうか。「ニュースステーション」のメインキャスターを務めていた久米宏(73)が、“自伝的エッセイ”を刊行。
関わった様々な番組の秘話とともに、これまで明かされなかった「ニュースステーション」降板のワケを綴っていた。
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そのタイトルは、『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社)。担当編集者は、
「久米さんは、BSで本を紹介する番組『久米書店』の司会をされていたので、お勧めの本を纏めたいと相談したのです。すると、“今年は僕が業界に入って、50年。節目だし、テレビの本なら”とOKがでました」
内容は、少年時代から始まり、TBSの局アナ時代に関わったクイズ番組「ぴったし カン・カン」や、最高視聴率41・9%を記録の歌番組「ザ・ベストテン」などの裏話が書かれている。
例えば、1982年から85年まで続いた「久米宏のTVスクランブル」。番組のテーマは、「誰もが自由にものを言える社会」だ。久米のたっての希望で、相手役として〈常に自分の本音を口にした〉横山やすしを起用。
〈本番中に「久米ちゃん、しょんべん」と言って途中退席し、そのまま帰ってこない。(中略)視聴者も彼のハチャメチャな言動にいつもハラハラ、ワクワクしていたと思う〉
今では考えられないが、テレビが自由な時代だった。
なにより興味深いのは、久米自身も一番ページを割いている、「ニュースステーション」についての記述だ。
85年に誕生した番組は、従来の報道番組に無いセットを構え、都会的でファッショナブルな作りがウケた。その一方で、
〈発信力が高まるにつれ、自民党の番組に対する批判は激しさを増した〉
全4795回の平均視聴率は14・4%。報道番組としては圧倒的な数字だ。にもかかわらず、彼は18年半続けた番組を、なぜ、降りてしまったのか。
〈「政治とテレビの関係」にあったのかもしれないと今になって思う〉
2001年に小泉政権が誕生した際、マスコミを巧みに利用した「小泉劇場」の演出に、結果的にテレビが加担したことで、
〈そこに生じた、テレビと政治のいわば「不義密通の関係」。(中略)政治とテレビの関係に嫌な予感を覚えたことが、「そろそろ潮時だ」と決めるに至った原因ではなかったか〉
そして、04年3月に番組は幕を閉じた。だが、同じテレ朝の看板番組「朝まで生テレビ!」の司会を務める田原総一朗氏は、
「あの番組は、権力に対する監視装置だった。彼がまた報道の世界に戻ってきてくれたら面白い」
現在、久米は主にラジオで活動中。先日、ラジオ番組にゲスト出演した際、ニュースステーションの後釜として始まったあの“番組”について触れている。
「その週のうちに見たと思うんです。正直言って、辞めなきゃよかったなあという気持ちはちょっとありました。もうちょっと、続けた方が良かったかなって」
意図して“久米節”を放つ話術は、今も健在だった。
「週刊新潮」2017年11月2日号 掲載
鬱陶しいだけの老害なんて放置しとけよ
いい人生だったと思うよ。まあ日本の害になったけどなw
感想なんていらないんだよ
事実を坦々と読み上げるだけでいいのに
屁理屈で綺麗な思い出にしているという
おこがましい。
傲慢だよ。
そこが凄い問題。
電波芸者風情が思い上がりも甚だしい。
オウムテロのときに憤らなければおかしいわけなんだが
久米宏はタレントだろ。
お疲れ様
企画は凝ってたし金もかかってた気がする
久米節とか言われてるけど鼻につく言い回しが多くて嫌いな人も多かった
俺は好きだったなあー
当時なら破天荒で済んでたかもしれんが
今やったらただの無責任
だねw
つまんない時代、というか国になったね
発言に反撃が帰ってこない時代だからできた仕事
今久米が報道ステーションやったら毎日炎上だわ
あの頃は批判が華の時代だったな
Source: 芸能情報ニュース
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